全ての始まりのその前に 〜カーティス〜
―― 絶対的機密であることを示すギルカタール国王の印によって完璧に封がされた一通の書状が、全ての始まりだった・・・・ 「・・・・」 「カ、カーティス様?」 うっすらと笑みを浮かべているような表情で座っているカーティス=ナイルに、仕事の報告を持ってきた部下は少し怯んで声をかけた。 「ああ、ユージーン。どうしたんです?」 「仕事の報告を・・・・」 「ご苦労様。その辺に置いておいて下さい。」 失敗したとはまったく考えていない返事だが、それも当然。 暗殺者の仕事は、失敗は無いのが基本だ。 ユージーンは言われたとおり近くの机に、依頼主に渡す書簡を置いてカーティスをちらりと見た。 「・・・・なんです?」 「あ、いえ。なんだか不機嫌・・・・いや、機嫌がいいですか?」 「?変な言い方をしますね。どっちに見えるんです?」 ぴくっと眉を動かして見返されて、ユージーンは答えに窮した。 カーティスの元で働くようになってから長いユージーンは、大概のカーティスの表情は読めるつもりだった。 他の古参の部下達に比べて、人の感情の機微に鋭いせいもある。 しかし、今のカーティスはまさにどっちにも見えた。 酷く不機嫌なようにも。 酷く上機嫌なようにも。 「・・・・わかりません。」 素直に答えたユージーンに、カーティスは薄い微笑みを深くする。 「実は、僕にもよくわからないんですよ。」 (本当に、わからない。) 答えておいて、カーティスはつっと唇の端を上げた。 ・・・・馬鹿げた話だと思った。 『王女と取引をするから、その間、婚約者候補になれ』 なんて。 王への借りごと踏み倒してしまってもよかったが、一国の王を暗殺するとなると少し面倒だったから受けたまでのこと。 (王室の親子喧嘩に巻き込まれるなんて、滅多にない。) 貴重かも知れないが、別にしたくもない経験ではあった。 受けても面倒、踏み倒すのも面倒。 だから、一応面倒の度合いの低そうな受ける方を選んだだけにすぎない。 王位なんてものに興味はないし、名はこれ以上上げるところの無いくらい高いところまでいっている。 これから25日間、他の候補者とやらにお鉢が回ればいいのに、と思いながら王宮に呼び出されて、その帰り ―― 彼女に会った。 プリンセス・アイリーン。 王のもくろみ通り、取引をしてきたばかりだったのだろう。 砂漠の国のギルカタールにしては珍しい、白い頬を上気させてガツガツ歩いてくる様は年頃の娘というには少しばかり幼く見えるくらいだった。 面識がなかったわけではないが、婚約者候補とやらに名前も載せられてしまったことだし、先に釘でも刺しておこうか、と声をかけたのはほんの気まぐれ。 けれど、初めて真正面から言葉を交わしたアイリーンに・・・・一瞬、呑まれた。 軽蔑するように、敬遠するように、呆れたように、怒ったように、くるくると変わる表情と雰囲気。 そして何より、あの射るような視線。 「・・・・ふふ」 思い出すと笑いが零れてしまうほどに、あの視線は刺激的だった。 さすがは悪徳国家のギルカタール王の一人娘というべきか。 本人はまったく意識していなかっただろうが、弱い人間ならあの視線だけでひれ伏すだろう。 それほどの視線を持ちながら、彼女は『普通』になりたいのだという。 『普通』の人と、『普通』の結婚をしたいと。 (あの研ぎ澄まされた美しいナイフのような存在に、『普通』の人がついていけるとは思えないんですけど。) アイリーンがどうするつもりなのか。 王の思惑は何なのか。 25日間は、面倒でも少しばかり面白い物が見られるかも知れない。 「ユージーン。」 「はい?」 「どちらかというと、機嫌が良い方に傾いてきたみたいです。」 くすっと笑って、カーティスは窓に目を向けた。 赤茶けたスラムの家の屋根越しに、王宮が僅かに見えた。 口元に笑みを刻んだまま、カーティスは王宮に向かって ―― 昼間見たばかりの、アイリーンの面影に向かって呟いた。 「さて、どうなりますかね。」 ―― 取引終了まであと25日。 まだ、カーティスにとって全ては他人事だった。 |